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            メール・マガジン

       「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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        第003号   ’99−07−09

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          管理職のコミュニケーション

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●人という字は二画、

 

左と右、両方から支え合っている、、と教えられたのではありませんか?

「人は一人では生きられない、、」では、小説の書き出しみたいですが。

 

今更ではないけれど、この世に生まれ出て来たからには、ひと様との

やり取りで過ごして行くのが定め、と覚悟しなくてはなりません。

 

それを何ですか? 人間関係の煩わしさが嫌だ、とは。 そんな若者に、

この国の将来、任せられるのかね、、 ほーら、<化石>の地が出たぞ。

 

ま、悪気は無いのです。 ただ、日本が経済大国とやらになるまでの間、

その小さな部分を担って来た者として、ちょっと気にしているだけ。

 

だって君ら、今すでに問題山積のわが国だよ。シャカリキに片付ける気で

いなかったら、いずれ破滅あるのみだぜ。 何とか解決して行かなくちゃ。

 

でも、一人じゃ難しい。 みんなの知恵や力で、とすることが出来れば、

少しでも速く、楽に、しかも効果的に、解決が進むのですよ。

 

               *

 

問題解決は普通、容易ではありません。 もしそうでなかったら、つまり

容易だったら、とっくに解決されて、問題とはされていないはずでしょう。

 

やさしくないのをムズカシイと言う。 けれども、ムズカシがっていては

始まらない。 自分の可能性に合わせ、ヤサシクしてしまえば良いのです。

 

その手がかりは、、、ということで、ある本に出ていたヒントを拝借します。

即ち、3要素。

        @分からない   A示せない   B絞れない

このように因数分解した上で、各個に対処すれば、、という提案です。

 

             *   *

 

で、具体的にどうするか、、という方法までは書いてなかった。残念、、

ではあったが、欲張ってはいけない。多分、それは私に任せて下さった

のでしょう(と、プラス思考)。 いや、貴重なヒント、感謝します。

その心がけで待てば、次のヒントもすぐ授かるものです。 たとえば、

 

             *****

 

 

●昨年末ちかくのことでしたが、

日本経済新聞の囲み記事「海外ウェーブ」に、フランスでは、管理職に

コーチをつける企業が増えている、と出ていました。

    おや、「A示せない」の人が、フランスにもいるらしいぞ、、。

 

「企業にとっての資産は、もはや、設備やモノではない。 <管理職の

コミュニケーション能力>だ、という認識が支えるブーム」だそうです。

 

有能ではあるが補強を要する、そんな管理者にベテランを付ける、と

いう仕組み。それは、フランスに限ることはあるまい。わが国でも、、

とは思うが、このご時世、「コーチをつけてやろう」なんて暖かい

お言葉が頂けるような生易しい企業環境ではありません。それどころか、

 

               *

     

きびしい時代だ、何とか生き残ろう、で叫ばれた一つが「体質改善!」。

しかし、何が行われたか? 見れば、これがやたらと、人員削減ばかり。

仕事そのものは一向に変わらない、というのが珍しくありませんでした。

 

原語ではまったく別な意味なのに、「リストラ」なる四文字カタカナの

日本語に変身すると、なぜか忽ち「人員整理」の同義語になってしまう。

おお、何たる身勝手さ。しかも、その対象者が主に<管理者たち>と来る

のだから、悲しいでは済まない。怖くなります。そんなことして、バチが

当たりますよ、ホントニ。 いいんですかね?。

 

             *   *

 

人数が減っても仕事はそのまま。相対的には当然、人手不足になるから、

仕事は片付かない。 何とかせい、何か考えろ、と上からは迫られるが、

たださえ足りない時間数、、 そこに<新しい仕組みの創出!>という

オマケがつく。 これは物理的に不可能。 文字通り「やり切れない」。

 

その分、特別な報酬や権限が与えられるわけでもない。 「そこを工夫

するのが君の役目だぞ!」 まったく救いがありませんな。 絶望的!

これを打開するには、、、「コミュニケーション力!」、、、かも、ね。

 

             *****

 

 

●「困ってなんかいたくない」

 

のは誰しもです。アタリマエの話。しかし現実にこれは困る。それを

どう「困らなく」するか? たとえば、一人で背負い込むのをやめる、

というのはどうかな? それだ。 <みんなで困ればコワクナイ!>

 

どの仕事場のどんな問題も、あなた一人で生み出したものではない、、、

でしょう? なら、それを一人で、と思うのは、理屈が合いませんよ。

 

しかし、<みんなで困れば>はクライか? じゃ、<みんなで問題に

取り組めば>と言い換えましょう。 そして、それには、どうします?

 

まず、それが問題であること and/or そこに問題があること、それを

<みんな>に認識させなくては。そのために、コミュニケーション!

 

つぎ、<みんな>の知恵を集めよう。これまたコミュニケーション!

 

そして、「これでやろう!」と<みんな>に立ち上がってもらうため

の説得。 これが、仕上げのコミュニケーション!

 

               *

 

ひと昔前なら、管理職とは何をする人? 「問題解決!」 ピンポーン!

だったのですが、いまでは「コミュニケーションをリードする人!」。

 

逆に言うと、コミュニケーションがうまく出来なければ、管理職として

は問題の人、有害無益の存在と見られてしまう時代になっているのです。

 

フランスでの「コーチ」ばやりにも、そのような背景があるのでしょう。

 

             *****

 

 

●最近の学卒者採用試験で、

「コミュニケーション力」が重点項目になっている、と報道したのは、

先夜(99/5/31)の NHK@「クローズアップ現代・採用試験を見直せ」

でした。   ウワ、もうそこまで来てるんだゼ! 

 

一つは「大手印刷会社の例」。まずインターネットのやり取りで大まか

にふるい落とす。現代的コミュニケーション手段を自在に駆使する能力

が無いようでは、初めから話にならない、ということでしょう。

 

次が「グループ討議」。数名単位で、1時間のディスカッションです。

これを若手とベテラン、2人組の判定者が密着し、何項目も評価する。

 

理解力・受容力から、 納得性、 伝達・説明、柔軟性、そして表情・

動作まで。 <対面的コミュニケーション力>のチェックですな。

 

会社の説明では、そのような能力が「新分野開拓、新顧客獲得に必要」

ということでした。ここでの評価対象者がまだ若いので、当初的な役割

として、多分そうした職種が予定されているからでしょう。

 

しかし、それほどの素質ある人なら、いずれ昇進して管理職。その暁に

は、別にフランスでなくとも「管理職にはコミュニケーション力!」。

 

なら、初めからコミュニケーション力のある人を(管理職要員に)採用

しておこう、、、。  ま、順序の違いあれど、狙いは同じことですな。

 

             *****

 

 

●「コミュニケーション力」が

そんなに大切なら、実社会に出るまでのどこかでは教えられているはず、

と思いたいが、、、どうでしょう? もし大学や専門学校を就職予備校と

見るならば、そのカリキュラムに、コミュニケーションに関するものが

必修科目として含められていなくてはなるまいが、、、?

 

いや、企業組織の円滑な運営のために必要、と明確に認識されているの

なら、各社の企業内教育においても必修科目とされていて良いのでは?

 

で、そういうものがあるのか?  と見まわしてきたけれども、  

 

               *

 

不勉強のせいかも、と予めお断りしますが、これというものを見たことが、

少なくとも私においては、ありませんでした。敢えて言えば、KT法(と、

それの親類、EM法)がそれに当たるとは思いますが、どちらも全面的に

「コミュニケーション力の技法」と謳って来たわけではありません。また、

それらを採用しているクライアント側においても、その認識は同様です。

 

             *   *

 

このマガジンを始めた動機の一つはそれでした。どんな技法も、それだけ

では、単なる知識 or 特定分野でのツールでしかないことが多い。大切

なのは、それをどう認識し、どう活用するか、だと私は思うのです。

 

<おたすけマン>が提供するサービスは、その点にあります。EM法講師

ではあったけれど、ここでその技法を教えよう、と言うのではありません。

話に織り込むのは、よく知られた工学的手法から心理学的知識までを含め、

手当たり次第。ただ常に、どれを持ち出すにしても、それらを「コミュニ

ケーション」のツールとして見る、というところは一貫させます。

 

           *   *   *

 

幸いにして購読者の皆さんが辛抱強ければ、何号目かで、いくらかの

ヒントを見出だして頂けるでしょう。どこに接点が生じるか、それは

運まかせ。その運を、私は信じています。      ■竹島元一■

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